本丸の櫓や門、二の丸の御殿などの再建が進む 松山城(まつやまじょう)は、加藤嘉明 が関ヶ原の戦いの成功により伊予を与えられ、慶長7年(1602)に築城を開始したことに始まる。標高132mの勝山 山頂に本丸をおき、麓に二の丸と三の丸を設けた平山城である。本丸の天守曲輪 を構成する建物の多くは数度に渡る火災により焼失。 … 続きを読む
カテゴリ: 城
日本のお城を紹介します。
大洲城
大洲城の始まりは、14世紀前半の宇都宮豊房 の築城によるとされおり、豊臣秀吉の四国平定後は戸田勝隆 、藤堂高虎 、脇坂安治 と次々と城主が入れ代わり、元和 3年(1617)、加藤貞泰の入封後 は、加藤氏の世襲となって明治維新を迎えた。 … 続きを読む
宇和島城
宇和島城(うわじまじょう)は藤堂高虎 が慶長元年(1596)から6年を費やして築いた城である。築城地にはリアス式海岸の宇和海の最深部に位置する、中世城郭板島丸串 城が選ばれた。 高虎移封後、富田 氏を経て伊達政宗の庶長子 秀宗が入り明治まで続いた。伊達氏2代のときに居館と藩庁機能を持つ … 続きを読む
高知城
高知城が築かれた大高坂山 は、南北朝時代には大高坂松王丸 の居城があったという。関ヶ原の戦い後、山内一豊が掛川 より入封 、大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築城し、四重六階の天守を建てた。山頂に本丸と二の丸、東側の一段下に三の丸が配され、二の丸には藩主の居住空間である御殿が設けられた … 続きを読む
福岡城
関ヶ原の戦いの戦功により、黒田孝高 ・長政親子に筑前が与えられた。二人が領国経営の利便性を考えて、古代の迎賓館 ・鴻臚館 がおかれた所に慶長6年(1601)、福岡城築城の工事を始め、ここが明治まで黒田氏の居城となった。
幅50mを越える内堀で本丸、二の丸、東二の丸、南二の丸などを囲み、中枢部は総石垣造りであった。
… 続きを読む
名護屋城
天下統一を果たした豊臣秀吉は、大陸出兵を目指すようになった。その足がかりとして朝鮮半島に近い東松浦 半島発端に築かれたのが、名護屋城である。戦のための城(陣城 )とはいいながら城域は約17万平方メートルにも及び、金箔瓦 を使用した五重天守も建てられた。 城の周囲には戦のために集まった大名たちの[ruby 陣屋 … 続きを読む
佐賀城
佐賀城(さがじょう)は、慶長13年(1608)、戦国大名龍造寺氏 の居城であった村中城を鍋島直茂 ・勝茂 父子が拡張して築造した。四周を幅の広い堀で囲まれた典型的な平城 で、城内には本丸・二の丸・三の丸・西の丸のほか、旧龍造寺家家臣たちの屋敷地も配された。 享保年間(1716〜36)の火災 … 続きを読む
平戸城
慶長4年に松浦鎮信 は三方を平戸瀬戸 に囲まれた亀岡山 に日之岳城 を築いたが、幕府による改易を恐れて、慶長18年(1613)に鎮信自らが城を焼き捨てた。以後、城は築かれなかったが、元禄16年(1703)、藩主が寺社奉行に抜擢されたのを機に新規築城を幕府に願い出て許された。 平戸城 … 続きを読む
鹿児島城
鹿児島城(かごしまじょう)は、島津家久 が標高107mの城山 東麓に築いた平城である。慶長 6年(1601)に、築城工事を開始、その後約10年後に完成した。城山を背後におき、中世以来の館造りを踏襲 した城構えであった。 本丸と二の丸が連郭式 に並ぶだけのシンプルな[ … 続きを読む
飫肥城
飫肥城(おびじょう)は長禄2年(1458)、島津氏の臣新納忠続 が飫肥城主に封じられるのが史料上の初出である。その後島津氏一族が城主となり、両者の間で城をめぐって攻防戦が繰り広げられた。天正15年(1587)、九州平定に乗り出した豊臣秀吉にいち早く味方した伊東氏は飫肥を与えられ、関ヶ原の戦い後は徳川氏より領地を安堵 された。のちに[ruby 伊東 … 続きを読む
岡城
岡城は、標高325m、比高95mの天神山 に築かれた山城である。その歴史は古く、文治元年(1185)に緒方 氏が築いたのが最初だと伝えられている。その後、元徳3年(1331)に志賀貞朝 が入り、城を拡張した。現在残る高石垣を多用した近世城郭となったのは、文禄3年(1594)に中川秀成 が入って … 続きを読む
府内城
慶長2年(1597)、福原直高 が府内に入封 後、築城を開始、動4年(1599)に楼房型 の四重天守が築かれた。関ヶ原の戦い後、竹中重利 が創建当初の天守を新式の層塔型 へと改めるなどの大改修を行った。北方は海、東方は大分川 に面した … 続きを読む
人吉城
人吉城は、建久9年(1198)、人吉荘の地頭として下向した相良長頼 の築城と伝えられる。天正17年(1601)に本丸・二の丸などの詰 の城部分や御館 部分を竣工、寛永年間(1624〜44)に石垣が完成した。また、球磨川 を外堀として多くの船着場を設けており、川の水運を積極的に取り入れていた。 文久2年 … 続きを読む
島原城
島原城 は、元和4年(1618)に松倉重政 が築城を開始した。しかし築上のための課役、キリシタンの弾圧、過酷な年貢などが要因となり農民たちが天草・島原の一揆を起こした。原城 に立て篭もった一揆勢は鎮圧されたが、一揆を押さえられなかった責任を取らされて松倉氏は断絶。その後、城には高力氏 、[r … 続きを読む
熊本城
熊本城 とは、慶長6年(1601)、室町時代に築かれた千葉城 や隈本城 のあった茶臼山一体に、加藤清正 が築城し、慶長12年(1607)に完成した。最高所にある本丸には大天守や小天守を建て、各曲輪 には宇土櫓 をはじめ、三重天守に匹敵する[ru … 続きを読む