ひらどじょう平戸城

平戸瀬戸を望む松浦家代々の城

海に浮かんだ要塞に天守や櫓がそびえ建つ

慶長4年に松浦鎮信 まつうらしげのぶは三方を平戸瀬戸 ひらどせとに囲まれた亀岡山 かめおかやま日之岳城 ひのたけじょうを築いたが、幕府による改易を恐れて、慶長18年(1613)に鎮信自らが城を焼き捨てた。以後、城は築かれなかったが、元禄16年(1703)、藩主が寺社奉行に抜擢されたのを機に新規築城を幕府に願い出て許された。

平戸城(ひらどじょう)は、宝永元年(1704)、松浦棟 まつうらたかしが日之岳城跡に新たに築城を開始、享保3年(1718)に平戸城が完成した。山上部に本丸・二の丸、海岸に面した山麓部分には海城 うみじろならではの船着場である小船入・御舟入などが設けられた。本丸・二の丸をはじめ、外郭のいたるところに山鹿流軍学 やまがりゅうぐんがくによる折れや屈曲が施されている。

明治4年(1871)、廃藩置県により廃城、山上部の建物は現存する北虎口門 きたこぐちもん狸櫓 たぬきやぐらを残して取り壊された。

昭和37年(1962)、本丸北東隅に三重五階の模擬天守が建造され、城のシンボルとなっている。