ひとよしじょう人吉城

中世城郭の特色を色濃く残す相良氏歴代の居城

角櫓、長塀、多聞櫓と連なる景観がよみがえる

人吉城は、建久9年(1198)、人吉荘の地頭として下向した相良長頼 さがらながよりの築城と伝えられる。天正17年(1601)に本丸・二の丸などのつめの城部分や御館 みたち部分を竣工、寛永年間(1624〜44)に石垣が完成した。また、球磨川 くまがわを外堀として多くの船着場を設けており、川の水運を積極的に取り入れていた。

文久2年(1862)の火災を契機に武者返しをつけた西洋式石垣を導入、外堀も土塀に変わった。しかし明治5年(1872)からの払い下げにより、城は石垣が残るのみとなった。

平成5年に角櫓・長塀・多聞櫓が復元され、平成17年からは全国でも例のない、井戸をそなえた地下室遺構も公開されている。