こうちじょう高知城

土佐の太守山内一豊が築きあげた四重天守の城

高知城が築かれた大高坂山 おおたかさやまは、南北朝時代には大高坂松王丸 おおたかさまつおうまるの居城があったという。関ヶ原の戦い後、山内一豊が掛川 かけがわより入封 にゅうほう、大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築城し、四重六階の天守を建てた。山頂に本丸と二の丸、東側の一段下に三の丸が配され、二の丸には藩主の居住空間である御殿が設けられた。

現存する天守は、享保12年(1727)の大火でほかの建物とともに焼失後、延享4年(1747)に望楼型天守 ぼうろうがたてんしゅとして再建されたものである。築城当時の古い様式となっているのは、掛川五万石から一躍土佐二十四万石の天守となった藩主山内一豊への想いからであるといわれている。また、天守に接続している本丸御殿(懐徳館 かいとくかん)は全国でも数少ない現存する御殿遺構として貴重である。