本丸の櫓や門、二の丸の御殿などの再建が進む
松山城(まつやまじょう)は、加藤嘉明 が関ヶ原の戦いの成功により伊予を与えられ、慶長7年(1602)に築城を開始したことに始まる。標高132mの勝山 山頂に本丸をおき、麓に二の丸と三の丸を設けた平山城である。本丸の天守曲輪 を構成する建物の多くは数度に渡る火災により焼失。天守も一度は消失したものの嘉永5年(1852)に再建竣工され、この天守が現在も残る。
天守と小天守や隅櫓 が結ばれた天守群や櫓、門などが山頂の本丸に並び建っていた。
加藤氏の時代には城は完成せず、蒲生氏を経て松平氏の時代に完成。この松平氏が明治まで続いた。