おびじょう飫肥城

伊東氏と島津氏が長年争った境目の城

城の象徴であった格調高い大手門が再建されている

飫肥城(おびじょう)は長禄2年(1458)、島津氏の臣新納忠続 にいろただつぐが飫肥城主に封じられるのが史料上の初出である。その後島津氏一族が城主となり、両者の間で城をめぐって攻防戦が繰り広げられた。天正15年(1587)、九州平定に乗り出した豊臣秀吉にいち早く味方した伊東氏は飫肥を与えられ、関ヶ原の戦い後は徳川氏より領地を安堵 あんどされた。のちに伊東祐実 いとうすけざね貞享 じょうきょう3年(1686)からの大改修により、近世城郭としての体裁を整えた。

城は標高20〜30mのシラス台地にあり、西の丸から南に流れる酒谷川 さかだにがわを堀とし、本丸、中の丸、松尾の丸など多くの曲輪 くるわに分かれていた。

明治6年(1873)にすべての建物が取り壊れたが、昭和53年(1978)に大手門が、昭和54年(1979)に松尾の丸御殿が再建された。