おおずじょう大洲城

肱川に臨む地に多聞櫓を巡らして築かれた堅城

2基の櫓を従えて颯爽と四重天守が木造で蘇る

大洲城の始まりは、14世紀前半の宇都宮豊房 うつのみやとよふさの築城によるとされおり、豊臣秀吉の四国平定後は戸田勝隆 とだかつたか藤堂高虎 とうどうたかとら脇坂安治 わきさかやすはると次々と城主が入れ代わり、元和 げんな3年(1617)、加藤貞泰の入封後 にゅうふうは、加藤氏の世襲となって明治維新を迎えた。

城は肱川 ひじかわに突き出す標高約20mの地蔵ヶ獄 じぞうがだけに築かれ、肱川の水を利用した広大な内堀と外堀が城内を巡っていた。

山頂に位置する本丸上段は多聞櫓 たもんやぐらに囲まれ、四重四階の層塔型 そうとうがた天守が台所櫓と高欄櫓 こうらんやぐらを従える「連結式天守」がそびえていた。

明治維新の廃城は免れるが、明治21年(1888)に天守の取り壊しが行われた。平成16年、大洲市制50周年記念に古写真や天守雛型などを基に、天守が木造再建された。