さがじょう佐賀城

クリークの地形を生かして築かれた鍋島氏の巨城

玄関、御式台をそなえた宏壮な本丸御殿が再建される

佐賀城(さがじょう)は、慶長13年(1608)、戦国大名龍造寺氏 りゅうぞうじの居城であった村中城を鍋島直茂 なべしまなおしげ勝茂 かつしげ父子が拡張して築造した。四周を幅の広い堀で囲まれた典型的な平城 ひらじろで、城内には本丸・二の丸・三の丸・西の丸のほか、旧龍造寺家家臣たちの屋敷地も配された。

享保年間(1716〜36)の火災で天守を始め建物の多くを失い、天保6年(1835)には2度目の火災で当時藩政の中心だった二の丸御殿が消失したため、10代藩主鍋島直正が再建に着手し、本丸御殿を建設した。この本丸御殿の建物は、明治以降も県庁や学校など様々な施設として利用されたが、昭和32年(1957)までに鯱の門を除いてすべて解体された。

平成16年に本丸御殿の一部が木造復元され、佐賀城本丸歴史館として開館した。